大判例

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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)4709号 判決 1972年9月26日

原告 田中光登

同 田中キミコ

右両名訴訟代理人弁護士 吉野淑計

同 森本輝男

右両名訴訟復代理人弁護士 古田隆規

被告 株式会社昭和商店

右代表者代表取締役 橋本二郎

右訴訟代理人弁護士 真砂泰三

同 永田雅也

右真砂泰三訴訟復代理人弁護士 岩崎英世

同 稲波英治

同 小原邦夫

被告 神戸市

右代表者市長 原口忠次郎

右訴訟代理人弁護士 安藤真一

同 奥村孝

同 小松三郎

右奥村孝訴訟復代理人弁護士 石丸鐵太郎

主文

一、被告神戸市は原告田中光登に対し金二、七五八、五三五円およびうち金二、五五八、五三五円に対する昭和四四年九月四日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告田中キミコに対し金二、五七八、五三五円およびうち金二、三七八、五三五円に対する右同日から同割合による金員を支払え。

二、被告株式会社昭和商店は原告田中光登に対し金二、四五八、五三五円およびうち金二、二五八、五三五円に対する昭和四四年九月四日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を、原告田中キミコに対し金二、二七八、五三五円およびうち金二、〇七八、五三五円に対する右同日から同割合による金員を支払え。

三、原告らの被告に対するその余の請求を棄却する。

四、訴訟費用はこれを九分し、その一を原告らの、その余を被告らの、各負担とする。

五、この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

六、ただし被告神戸市が、原告田中光登に対し金一、五〇〇、〇〇〇円、原告田中キミコに対し金一、三〇〇、〇〇〇円の担保を供するときはそれぞれその仮執行を免れることができる。

事実

第一、当事者双方の求めた裁判

一、原告

(一)  被告らは各自、原告田中光登に対し金三、八四五、〇〇〇円およびうち金三、五四五、〇〇〇円に対し昭和四四年九月四日から支払い済みまで年五分の割合による金員、原告田中キミコに対し金三、六四五、〇〇〇円およびうち金三、三四五、〇〇〇円に対する同日から支払い済みまで同割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告らの負担とする。

との判決および仮執行の宣言。

二、被告両名

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

(三)  なお、被告神戸市は、敗訴の場合の仮執行免脱の宣言。

第二、当事者双方の主張

一、請求の原因

(一)  本件事故の発生

1、発生時  昭和四二年七月九日午後六時四五分頃。

2、発生地  神戸市葺合区葺合町山郡再度山ドライブウェー(以下本件道路という)の道路上。

3、事故車  自家用普通貨物自動車(大四は四八一四号)。

4、右運転者 訴外黒田久仁夫(以下黒田という)。

5、被害者  訴外田中淑栄(以下淑栄という)、当時二〇・九才、平均余命五四・九才

6、態様   助手席に淑栄が同乗して南進中の事故車の前方で山崩れが始まったため、後退し始めた同車が崖下に転落したもの。

7、被害内容 本件事故により淑栄は重傷を負い昭和四二年七月一二日死亡した。

(二)  責任原因

1、被告株式会社昭和商店の責任

(1) 被告株式会社昭和商店(以下被告会社という)は事故車を所有し、黒田は被告会社の従業員である。

(2) 黒田は、事故車を日常運転すると共に同会社から私用のためにも同車の使用を許されていた。

2、被告神戸市の責任

(1) 本件道路は神戸市道であり被告神戸市の管理にかかるものである。

(2) 本件道路は神戸市生田区山本通りに起点を有し奥再度ドライブウェイに通じている山岳道路であるが、本件事故現場附近は六甲山系の風化花崗岩地帯に属し(これは公知の事実である)、崖崩れ落石等の起き易い不安定な地帯であって降雨が続くと崩土落石崖崩れが続発する所である。

(3)イ、被告神戸市は右(2)の事実を熟知しながら、落石崩土等による交通の危険を防止するため本件道路の事前の調査、山地斜面部分の事前の調査、落石崩土等の防止措置をしていなかった。

ロ、また、被告神戸市としては気象情報に注意し、雨量によっては、危険防止のため適確な交通規制を尽して災害を防止すべきである。

ところで、昭和四二年七月一日から本件事故の日である同月九日までの間、同月四日を除いて連日降雨が続いたが、特別危険な状態には至らなかったところ、本件事故当日午前九時頃から同一〇時頃にかけて降雨量がやや多くなり、その後小止みになったが、午后四時頃から再び激しくなり、同五時頃から同六時頃にかけて降雨量が異常に多くなった。

また本件事故当日は日曜日であったため、かなり多数の車両が朝から再度山山上方面に登っていることや、六甲山上方面から本件道路を通って下山する車両のあることを充分予見し得た。

そして、同日午后一時頃には神戸三田線服部山附近で崩壊が始まっていたのであるから、その時点において本件道路においても当然崩落等の危険があることを具体的に予見し得た筈であるから、直ちに通行止めの処置がとらるべきであったにもかかわらず、被告神戸市の中部土木事務所は、同日午后三時過ぎになってはじめて通行止めの必要性につき兵庫警察と協議しただけであって、交通規制の判断を遅滞した。

また被告神戸市の道路管理担当者は、同日午后四時三〇分ないし同五時過ぎ頃、豪雨による危険を予見し、それに対処するため次々防災指令を発していたが、本件道路の山上降り口方面に有料道路料金所が設けられているので容易に交通規制を為し得たにもかかわらず、本件道路の上り口を通行止めにしたのみであって下山する車両に対し降り口での通行止めなどの対策を何等構じていなかった。

3、よつて被告会社は事故車の運行供用車として自動車損害賠償保障法三条に基ずき、また被告神戸市は本件道路の管理者として国家賠償法二条に基ずき、本件事故によって淑栄および原告らが蒙った損害を賠償する責任を負担すべきである。

(三)  損害

1、淑栄の逸失利益

(1)イ、淑栄は昭和二一年九月一五日生まれの健康な女性であったから、若し本件事故に遭遇していなければ、少くとも七五才に達するまでの五四年間は生存し得、その範囲内で少くとも六〇才に達するまでの三九年の間は稼働能力を有し、充分就労可能であった。

ロ、そして淑栄は電話交換手の資格を有し、本件事故当時には日本電信電話公社大阪市外電話局に勤務し、給与所得として年収三七〇、八四〇円を得ていた(淑栄の昭和四二年一月一日から同年七月一二日まで一九三日間の給与は金一九六、一四七円であるので平均日収は金一、〇一六円となるからその三六五日分)。

ハ、ところで淑栄の生活費は収入の二分の一を越えないので同人の年間純益は金一九五、四二〇円である。

そうすると同人が残就労可能期間である三九年の間に得ることが出来た筈であるが本件事故のため逸失した利益はつぎの(イ)(ロ)の合計金四、一九〇、四九二円である。

(イ) 淑栄の死亡後昭和四四年七月一二日までの二ヶ年分の逸失利益金三七〇、八四〇円。

算式 一八五、四二〇円×二=三七〇、八四〇円

(ロ) 昭和四四年七月一三日から三七年間分の逸失利益金三、八一九、六五二円

算式 一八五、四二〇円×二〇、六(三七のホフマン係数)=三、八一九、六五二円

(2) 原告田中光登(以下原告光登という)は淑栄の父、同田中キミコ(以下原告キミコという)は淑栄の母であるからいずれも淑栄の相続人として各自淑栄の右逸失利益請求権を二分の一の割合で相続した。したがって原告ら各自の逸失利益相続分はいづれも金二、〇九五、〇〇〇円(但し逸失利益合計額から金四九二円を切り捨てた金四、一九〇、〇〇〇円の二分の一宛)となる。

2、慰藉料

本件事故により、長年いつくしみ育てた愛すべき娘淑栄を失った原告らの精神的苦痛は甚大でありこれを慰藉するには原告ら各自に対し、少くとも金二、〇〇〇、〇〇〇円を要する。

3、葬儀費用

原告光登は淑栄の葬儀費用として金二〇〇、〇〇〇円を支出した。

4、弁護士費用

被告らは原告らに対し本件事故による損害の賠償をしないので法律の素養のない原告らはやむなく本件訴訟の提起と追行とを原告ら訴訟代理人に委任し、その際弁護士費用として合計金六〇〇、〇〇〇円を支払う旨約したが、原告ら各自の負担部分はその二分の一である金三〇〇、〇〇〇円宛であり、原告らが本件事故によって蒙った損害である。

5、損害の填補

(1)、原告らは大東京火災海上保険株式会社から自賠責保険金として合計金一、五〇〇、〇〇〇円の支払を受けた。

(2)、従って原告らは各自右金額の二分の一である金七五〇、〇〇〇円を4の弁護士費用を除く原告ら各自の損害金から控除する。

(四)  結論

よって被告らは各自本件事故による損害賠償として、原告光登に対し(三)の1の(2)と(三)の2、3の合計金四、二九五、〇〇〇円から(三)の5の金七五〇、〇〇〇円を控除した金三、五四五、〇〇〇円に(三)の4の金三〇〇、〇〇〇円を加算した金三、八四五、〇〇〇円およびこれのうちから同4の金三〇〇、〇〇〇円を控除した金三、五四五、〇〇〇円に対する本件不法行為の日の後である昭和四四年九月四日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を、原告キミコに対し(三)の1の(2)と(三)の(2)の合計金四、〇九五、〇〇〇円から(三)の5の金七五〇、〇〇〇円を控除した金三、三四五、〇〇〇円に(三)の4の金三〇〇、〇〇〇円を加算した金三、六四五、〇〇〇円およびこれのうちから同4の金三〇〇、〇〇〇円を控除した金三、三四五、〇〇〇円に対する右同日から同割合による遅延損害金を支払うことを求める。

二、請求の原因に対する認否

(一)  被告会社

1、請求の原因(一)記載の事実のうち、6、記載の事実は争うが、その余はすべて認める。

2、同(二)記載の事実のうち1、の(1)記載の事実および2、の(1)記載の事実は認めるが、その余はすべて争う。

3、同(三)記載の事実のうち5、の(1)記載の事実は認めるが、1、の(2)のうちの原告らが淑栄の父母であり、(2)のうちの原告らが淑栄の父母であり、淑栄の相続人として淑栄の権利を二分の一宛相続したことは不知、その余はすべて争う。

(二)  被告神戸市

1、請求の原因(一)記載の事実は不知。

2、同(二)記載の事実のうち、2の(1)記載の事実は認めるが、1記載の事実は不知、その余はすべて否認する。

3、同(三)記載事実のうち5、の(1)記載の事実は認めるが、その余はすべて不知。

三、被告らの主張

(一)  被告会社の主張

1、本件事故は、事故車が山崩れの土砂に押し流されたこと、即ち不可抗力によって生じたものであって、黒田の過失に基くものではなく、また事故車には構造上の欠陥または機能の障害がなかった。したがって被告会社は本件事故につき責任を免れるものである。

2、本件事故は黒田が日曜日に女友達である淑栄と六甲山ドライブ中に生じたものであり、淑栄は黒田が被告会社の業務以外目的に事故車を運転していたことを知っていたものであるから、被告会社は責任を免れるものである。

3、仮りに被告会社に責任があるとしても、本件事故当日は記録的な豪雨であり、このような日に淑栄は黒田と共に事故車に乗ったものであるから、自ら危険を選択したものと言うべきであり、従って本件損害額につき過失相殺さるべきである。

(二)  被告神戸市の主張

1、本件事故は黒田の運転上の過失から生じたものである。即ち本件事故は、異常事態を予測しながら敢えて本件事故発生地点に進入し、崩土の落下現象に吃驚した黒田が、事故発生を予防すべき情況判断を誤り適切なる処置ならびにハンドルブレーキの操作を誤った過失により、防護壁四箇を倒壊させて事故車を崖下へ落下させたことによって生じたものである。従って被告の道路管理とは何ら因果関係がない。

2、被告神戸市は、本件道路の維持修繕等に不完全な点は全くなかった。即ち。本件道路については昭和三五年から同三六年にかけて、三二―三箇所に亘ってのり面安定の為の拡幅改良工事が行われ、本件事故現場およびその附近の道路および北側の崖面は全体として土質が安定しており過去に落石、崩土などは一度も発生しておらず、同南側には、道路沿いに防護壁が設置されていて、通行者の危険は全く予想し得なかったところである。

(1) 本件事故当日は、午前一時から午後三時までの間は通常の降雨であったが、午後五時からは同一〇時までの間に集中的に爆発的な豪雨が発生した結果雨水がいわゆる鉄砲水となって、六甲斜面に流出し、山手地帯では崖崩れ山崩れなどが生じて甚大な被害が生じた。それ故仮りに本件事故が崩土の落下のために事故車が崖下へ転落させられたものであったとしても、土砂の落下を予期し、それを防止することは当時の異常情況下にあっては不可能事であった。即ち不可抗力によるものである。

(2) 本件事故当日被告神戸市は災害対策本部を設置して防災活動に従事し、中部土木事務所では午后五時三〇分頃には事件道路の上り口である神戸市生田区山本通りで通行止の措置をとった。

3、仮りに被告神戸市に責任があるとしても本件事故発生に至るすべての情況、黒田と淑栄との身分関係ならびに淑栄が黒田の無謀運転を承知で事故車に同乗するに至った経緯を総合すれば、被害者側の過失として、淑栄および原告らの損害につき過失相殺がなさるべきである。

四、被告らの主張に対する認否

(一)  被告会社の主張に対し

免責の主張事実は否認し、その余は争う。

(二)  被告神戸市の主張に対し

争う。

五、証拠≪省略≫

理由

一、本件事故の発生

請求の原因(一)記載の事実については、被告会社6記載の事実を争い、その余の事実を認め、被告神戸市はすべて争っているので、右各争点につき判断する。

≪証拠省略≫を総合すれば、請求の原因(一)記載の事実はすべて認められる。

二、被告会社の運行供用者性の有無

請求の原因(二)の1、の(1)記載の事実については原告らと被告会社との間において争がない。そして≪証拠省略≫によれば、同(二)の1、の(2)記載の事実が認められ、≪証拠判断省略≫、他に右認定をくつがえすに足る証拠はないので、被告会社は事故車の運行供用者として、免責要件が立証されない限り、自賠法第三条に基ずき本件事故による損害を賠償する義務を負担する。

三、被告神戸市の道路管理者の責任の有無

請求の原因(二)の2、(1)記載の事実については原告らと被告神戸市との間において争いがない。

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実が認められる。

1、本件道路は神戸市生田区の市街地から諏訪山、市章山、堂徳山、本件事故現場を経て奥再度有料道路から西六甲ドライブウェイへ通ずるアスファルト舗装の山岳道路であること(以下便宜上本件道路につき、その事故現場を基点に神戸市街地方面を市街側、奥再度有料道路方面を山頂側という。)、事故現場附近においては、道路は事故現場から僅か北方の辺りにおいて山頂側に向って左方(西方)に屈曲し、且つ左側(西側)一帯は道路面より高く急角度に吃立し(以下西側を山側という。)、また右側(東側)一帯は路肩部分から約三〇度の下り勾配の崖となっており(以下東側を崖側という)、その崖縁に沿って長さ約二、五メートル、厚さ約二五センチメートル、高さ約七〇センチメートルのコンクリート状の物で作られた蒲鉾型防護壁が設置されていたこと、山頂側からの本件事故現場への見通しは山側の山のために極めて悪いこと。

2、本件事故当時山側斜面は、高さ約一五メートル、幅約一三メートルに亘って土砂などが崩落しており、また崖側路肩部分は、ほぼ山側の土砂崩落幅の範囲内で、幅約九、七メートルに亘って蒲鉾型防護壁四箇が崩落し、約二五メートル下方に事故車が車輪を上方にして転覆しその上に土砂などが堆積していたため、事故車の車輪は土砂の上に約一〇センチメートル程度出ていただけであったこと。

3、昭和四二年七月一日から事故当日である同月九日までの間の神戸海洋気象台の日降水量は、別表記載のとおりであるが、このうち神戸海洋気象台においては事故当日の日降水量は明治三〇年の観測開始以来の最大値を示したが、六甲山・高山植物園においては同日の日降水量は昭和五年八月二九日の三七九ミリメートルに次ぐ値であったこと、なお当日の降雨量は午后五~六時頃に急増していること。

4、本件事故現場附近の道路の管理については、被告神戸市の土木局中部土木事務所が担当していたものであるが、同月八日には、神戸市災害対策本部設置要綱第八条に基づき第一号防災指令(この発令基準は災害が発生するおそれがある場合であって、少数の人員を配備して主として防災のための警戒及び情報連絡にあたる必要がある場合に発する)を発し、本件事故当日である同月九日は日曜日であり降雨であるにもかかわらず多数の車両が本件道路を通行していた午后一時過頃から縣道神戸三田線服部山トンネル附近で崩壊を始め、また同三時頃には神戸市兵庫区里山町で大規模な山崩れがあったことなどから、同四時三〇分頃第二号防災指令(これは、右局等の所属の職員のみで所掌事務が処理できる程度の災害が発生し、又は発生する恐れがある場合に発する)を発し、次いで同五時一〇分頃には第三号防災指令(この指令は、第二号防災指令を発する程度以上の大規模な災害が発生し、又は発生するおそれがある場合に発する)を発して防災に当り、また所轄警察署である兵庫警察署と協議のうえ、同日午后四時頃本件道路上り口において通行止めの措置をとったが、下山する車輛等に対しては通行止めの措置をとっていなかったこと。

5、淑栄は黒田と共に事故車でドライブし下山途次に本件事故に遭遇したこと。

以上の事実が認められ、ほかに以上の認定をくつがえすに足りる証拠はない。

ところで、道路管理者は、道路を常時良好な状態に保つように維持修繕し、もって一般交通に支障を及ぼさないように努めなければならず(道路法四二条)、また道路の破損欠壊その他の事由により交通が危険であると認められる場合において、交通の危険を防止するため区間を定めて道路の通行を禁止し又は制限することができる(同法四六条一項一号。なお禁止又は制限の方法については同法四八条参照)。そして自動車には屋根や倒壁のあるのが普通であって強い降雨があるからと言ってもその運転をなし得ないものではなく、かえって降雨の激しい場合には重用されるものである。現今の如く自動車交通量が激増し、山間部へも自動車が容易に通行し得る道路が四通八達している時代にあっては、少くとも自動車交通量の多い道路については降雨による落石・崩土・道路の決壊等のないよう道路の保全がなされると共に、その危険が予測される場合には道路管理者としては迅速に通行止めの措置をとり、歩行者の通行は勿論、自動車の通行に対しても、その安全を確保すべきである。

しかるに前示認定事実によれば、本件事故は、数日来降り続いた雨の上に、事故当日の豪雨のために地盤がゆるんで山側の土砂などが崩落し、右土砂などによって事故車が蒲鉾型防護壁諸共押し流された結果生じたものと推認される(黒田の過失の存否については暫しおく)。本件道路の道路管理者たる被告神戸市は、前示3のとおり少くとも六甲山附近においては、本件事故当日以前に事故当日の降雨量を上廻る量の降量があったこともあるのであるから、事故当日迄に事故当日程度の豪雨の降り得ることも予測し得なかったわけではなく、従って事故当日程度の豪雨にも耐え得る程度に本件道路を維持修繕しておくべきであったが、それがなされていなかったうえに、事故当日事故発生時刻頃までに既に周辺各地において土砂崩れなどが生じて通行止めの措置がとられていたにもかかわらず、本件道路においては、午後四時頃になって上り口で登山する車両に対し通行止めの措置がとられただけであって、下山する車輛等に対しては通行止めの措置をとっていなかったのであるから、本件事故は被告神戸市の本件道路についての管理の瑕疵に基ずくものと言うべきである。

したがって、被告神戸市の主張は採用できない。

四、被告会社の免責の主張について

≪証拠省略≫を総合すれば、

事故現場は、六甲山頂附近から西六甲ドライブウェイ、奥再度ドライブウェイ(有料)を経てその直ぐ下に連結する本件道路(無料)の中にある。事故現場は、S字形カーブで幅員七・六メートルである。うち下り車線三・七五メートル、中心線〇・一五メートル、上り車線三・七〇メートルで、更にその両脇に、下り車線外側として若干の路肩部分、上り車線外側として〇・六メートルの側溝がある。本件道路附近一帯の地質は風化花崗岩地帯であって比較的くずれ易い。黒田は午後六時四〇分ごろ事故車で事故現場より少し先まで下山したところ、進路直前で、右手の山側の土砂がくずれて、道路に散らばった。その範囲は半径一・二〇メートルぐらいであったが、更に崖くずれがあるのを恐れて前進をちゅうちょしている間に、再び土砂くずれがあり後退にかかったところ斜め右後方で崩落が始まり、崩落しかけた土砂の上に車を乗り上げ、車の安定を失っているところに、相当多量の土砂くずれがあり、その土砂とともに車ごと崖下に転落した。そして、後退前の東の進路直前に散らばった土砂の量からすれば、黒田が後退せずに、そのまま停車していたとしたならば、崖下への転落を免れたかもしれない。なお、この事故現場にいたるまでについても、本件道路屈曲に富んで運転上の難所が多い。

以上の事実が認められ、右認定をくつがえすに足る証拠はない。

右認定事実に徴するときは、ドライバーとして、かように記録的豪雨というべき時には、フロントグラス・バックミラーなど効用を発揮しにくく前方および側方の見通しが困難で危険であるから本件道路のような難所での運転を取止めてどこかへ待避するか、かりに後退するとしても後方を十分に確認できる場合にかぎるなどして、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにもかかわらず、黒田は、後方への注視を怠り漫然後退したため、本件事故が発生するにいたったので過失があるといわなければならない。したがって免責の主張は採用しない。

五、損害

(一)  淑栄の逸失利益

1、≪証拠省略≫を総合すれば、淑栄は昭和二一年九月一五日出生の普通健康体の女性であり、本件事故当時にはおおよそ満二一才に達し、日本電信電話公社大阪市外電話局に交換手として勤務して昭和四二年一月一日から同年七月一二日迄の一九三日の間に給与として金一九六、一四七円を取得していたことが認められる。

そうすると、淑栄は本件事故で死亡していなければ尚四八年間生存可能であり(第一一回生命表)、右余命年数の範囲内で満六〇才に至るまで尚三九年間は就労可能であると推定することができ且つ、この間少なくとも右認定の金額の所得程度の稼働能力を有し、生活費としては右所得の二分の一を費消するにとどまるものと推定し得るところ、本件事故によって淑栄が失った右就労可能期間内の利益を年毎ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して淑栄死亡当時頃の現価として算出すれば金三、九五二、三〇三円(但し、円位未満切り捨て。以下同様。)となる。

算式

(21,309は39のホフマン係数)

2、≪証拠省略≫によれば淑栄は原告両名間の四女であり配偶者も子もないことが認められるので、原告両名が淑栄の相続人として淑栄の被告らに対する右逸失利益請求権を二分の一宛相続により承継取得した。従って原告らは被告らに対し各金一、九七六、一五一円宛の逸失利益請求権を有する。

(二)  原告らの慰藉料

≪証拠省略≫によれば、原告らは淑栄が本件事故により受傷の上死亡したことによって精神的打撃を受けたことが認められるが、これを慰藉するに足る金額は原告ら各自につき金一、五〇〇、〇〇〇円をもって相当と認める。

(三)  葬儀費用

≪証拠省略≫によれば原告光登は淑栄の葬儀費として少なくとも金二〇〇、〇〇〇円を支出したものと認められる。

六、過失相殺

民法七二二条二項にいわゆる被害者の過失とは、不法行為の成立要件としての過失あるいは注意義務違反ではなく、不注意によって事故の発生を助ける結果になることであると解すべきである。したがって、淑栄にかかる意味での過失があったかどうかについて検討する。

≪証拠省略≫を総合すれば、

事故発生日の数日前から、本件道路を含む六甲山系一帯は悪い天候がつづき、事故当日も同様であった。黒田(二二才)と淑栄(二〇才)の二人は、恋人の間柄にあり、数日前からドライブを計画していたため黒田の勤務する被告会社保有の事故車を運転して悪天候にもかかわらず六甲山にドライブに行った。六甲山頂には、ホテル、宿泊所、その他防災待避の施設も整っていた。二人は午後五、六時ごろ、西六甲ドライブウェイ、奥再度ドライブウェイ(有料)を経て本件道路に差しかかった。この時刻ごろ特に降雨量がはげしくなっていた。本件道路の山頂方面からの入口(北の部分)には再度公園(修法ヶ原)があり、待避しようと思えばここで十分待避しえた。二人は帰路を急ぐ余り、ここを通って下山して事故現場に向ったが、本件道路附近は風化花崗岩地帯のうえ長雨により、くずれ易く、しかも屈曲に富み運転上の難所が多かった。事故日の翌日神戸市の防災担当係員が調査したところによると、本件道路の麓から事故現場までの間に六台ぐらいの乗用車、また再度公園(修法ヶ原)には多数の乗用車が放置してあった。天候がおさまって、引取っていった人の話によると、はげしい雨のため運転困難となり車を捨て、下山し難を逃れ、翌日引取りに赴いたとのことであった。

以上の事実が認められ、ほかに右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

右認定事実に徴するときは、淑栄は、運転の交替こそしないが、黒田とドライブを楽しむ共同の目的をもって同乗したものであり、六甲山頂および下山の途次にも待避の場所があったので、同女から黒田にどこかへ待避方を勧告すればききいれることも期待できたわけである。同女としては、黒田がこのまま運転をつづければ、危険の結果を招来するので、下車又は運転中止を勧告するなどして事故の発生の回避に配慮すべき義務があるといわねばならない。

淑栄は、右の配慮義務を怠り、また不測の結果を招来することを知りながら、同乗をつづけたことによって事故発生を助けた結果になるが、その程度は一割程度と認めるのが相当である。

しかるときには、過失相殺の適用により、淑栄の死亡によりその相続をした原告らの損害残存額は、原告光登において金三、三〇八、五三五円、原告キミコにおいて金三、一二八、五三五円となる。

七、好意同乗

前段認定の事実によると、淑栄は被告会社保有にかかる事故車についての好意同乗者であることが明らかである。かかる事情にかんがみ、淑栄の好意同乗による減額率としては慰藉料額の二割とするのが相当である。それで、被告会社に対する関係において原告両名の損害残存額は、原告光登において金三、〇〇八、五三五円、原告キミコにおいて、金二、八二八、五三五円となる。

八、損害の填補

原告らが自賠責保険金として合計金一、五〇〇、〇〇〇円の支払を受けたことについては当事者間に争いがなく、右支払金はその半額ずつが原告ら各自の損害請求額に填補されたものというべきである。

そうすると原告光登については、被告神戸市に対する分は、同被告に対する損害額が前記六の過失相殺残額金三、三〇八、五三五円であるから、同額から金七五〇、〇〇〇円を控除した金二、五五八、五三五円となり、被告会社に対する分は、同被告に対する損害額が前記七の好意同乗による控除をした残額金三、〇〇八、五三五円であるから、同額から金七五〇、〇〇〇円を控除した金二、二五八、五三五円となり、また原告キミコについては、被告神戸市に対する分は、同被告に対する損害額が前記六の過失相殺残額金三、一二八、五三五円であるから、同額から金七五〇、〇〇〇円を控除した金二、三七八、五三五円となり、被告会社に対する分は、同被告に対する損害額が前記七の好意同乗による控除をした残額金二、八二八、五三五円であるから、同額から金七五〇、〇〇〇円を控除した金二、〇七八、五三五円となる。

九  弁護士費用

≪証拠省略≫によれば、原告らは、被告らが本件事故により原告らの蒙った損害の賠償金を任意に支払わないので、本件訴訟の提起と追行とを原告ら訴訟代理人らに委任したが、その際着手金として金一〇〇、〇〇〇円を支払うことおよび報酬として判決認容額の一〇〇分の一〇を支払うことを約したことが認められるが、本件訴訟の内容、審理の経過認容額などに照らすと、原告らが被告らに対し損害として請求し得る弁護士費用の額は各々金二〇〇、〇〇〇円をもって相当と認める。

七 結論

よって本訴損害賠償請求は、被告神戸市に対しては(後記被告会社に対する認容額と一致する範囲では同被告と不真正連帯にて)、前記六の残額と八の弁護士費用との合計金二、七五八、五三五円およびこれのうち九の弁護士費用を控除した金二、五五八、五三五円に対する本件不法行為の日の後である昭和四四年九月四日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、また原告キミコが前記六の残額と九の弁護士費用との合計金二、五七八、五三五円およびこれのうち九の弁護士費用を控除した金二、三七八、五三五円に対する右同日から支払い済みに至るまで同割合による遅延損害金の支払いを求め、被告会社に対しては(被告神戸市と不真正連帯にて)、前記八の被告会社に対する残額と九の弁護士費用との合計金二、四五八、五三五円およびこれのうち九の弁護士費用を控除した金二、二五八、五三五円に対する本件不法行為の日の後である昭和四四年九月四日から支払い済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、また原告キミコが前記八の被告会社に対する残額と九の弁護士費用との合計金二、二七八、五三五円およびこれのうち九の弁護士費用を控除した金二、〇七八、五三五円に対する右同日から支払い済みに至るまで同割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、いずれも理由があるから認容することとし、その余はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条、九三条一項本文仮執行の宣言については(訴訟費用の負担については仮執行の宣言を附することは相当でない。)同法一九六条をそれぞれ適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 本井巽 裁判官 斎藤光世 中辻孝夫)

<以下省略>

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